仲原善忠先生、生誕の地
記念碑
銘板はこれ ↓
   久米島が生んだ偉人 仲原善忠先生

 仲原善忠先生は明治23年(1890年)7月、父善久、母なへの三男として、仲
里間切(村)真謝に生まれ、明治45年沖縄県立師範学校卒業、大正6年広島高等師
範学校本科地理歴史科を卒業後、静岡師範、中国の青島中学、鹿児島県立第一師範の
教論を歴任。大正13年自由教育のメッカである東京の私立成城学園の学校創設にか
かわり、教授、中等部部長などを勤め、学園の教育と経営に打ち込む。前半生は教育
に情熱をそそぎ、先生のご薫陶を受けた多くの教え子たちが、全国各方面で活躍する。
 戦後は沖縄人連盟会長に就き、戦時中の沖縄からの疎開者など沖縄関係者の世話に
東奔西走する。沖縄文化協会長、琉球育英会理事・同東京事務所長に就くなど、沖縄
の文化と育英事業に尽力する。昭和14年頃から沖縄研究に着手し、弟の善秀氏と共
著で「久米島史話」を著す。このころから、久米島おもろを足がかりにおもろ研究を
深め、そこから歴史に視野を拡大し、先生の活きた体験、久米島の土の香りと海の匂
いから生まれた独自の史観と文化論を築き、昭和28年刊行した「琉球の歴史」で、
その沖縄史観を明確にする。以後、おもろ、歴史のほか、民俗、文学、言語、芸能等
幅広い分野にわたって精力的に論文を発表する。また、「具志川間切旧記」、「仲里間
切旧記」などの校注というすぐれた仕事もある。その成果は、「校本おもろさうし」
「おもろさうし辞典・総索引」「仲原善忠全集」4巻に結集され、伊波普猷氏と並
ぶ沖縄研究の第1人者とした高く評価されている。先生の研究が沖縄の歴史解明へ大
きく期待されている中、昭和39年74才で死去する。現在も先生に続く郷里の文化振
興と学術の寄与すると認められている研究や著作に、仲原善忠賞が贈られる。
 琉球大学付属図書館に、先生が所属していた沖縄関係図書など貴重な資料により
仲原善忠文庫が設けられ、沖縄の研究や教育に多いに活用されている。
 久米島は、昔より教育の島と言われ、離島苦などの困難を克服には学問での立
身を共通目標に、島全体が教育に力を入れ、現在に至るまで各分野で活躍する人材を
輩出している。先生はその代表的な人と言っても過言ではない。
 茲に先生の功績の一端を記して、先生に続く幾多の若者の輩出を希うものである。

   平成9年3月吉日

      仲原善忠先生顕彰事業期成会  会 長 平 良 曽 清
 
展望台(比屋定)からハテの浜 仲里間切蔵元跡 ブルースカイが?
一周線の丘から美崎校区 菩薩堂(ブサードー)天后宮跡 ブルースカイが入港
黒石林道から下 海洋深層水研究所 真泊港から美崎校区
黒石林道から チュラフクジ 真泊から一文字(釣りポイント)
真謝泊 仲原善忠先生、生誕の地 真泊から人道橋
ユイマール館 登那覇から、美崎校区 スラミから、美崎校区
美崎小学校 宇根の大ソテツ スラミから、奥武島
屋号1 屋号2 スラミのナミダ石
※このページは、「久米島の歴史・仲原 善忠先生」そして、私の恩師「久米島の地名と民族、久米島の按司物語・仲村 昌尚先生」の著書を参考引用にしました。「琉球歴史の謎とロマン」亀島 靖先生の著書を参考引用してます。
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